福井県坂井市にある「丸岡城」、現存する12天守の一つで北陸地方では唯一。戦国時代、織田信長に越前の統治を任された重臣柴田勝家、その甥の柴田勝豊がこの地に築いたのが始まりと。こじんまりとしていますが当時の面影を色濃く残す貴重な遺産。
信長亡き後、豊臣秀吉と対立し勝家は敗北、以後城主、江戸時代に入っては藩の体制が変わりながら明治維新を迎えた。維新後の廃城令により天守以外は取り壊されたものの明治34年、当時の丸岡町の所有となり城址は公園となった。
石垣は野づら積みという古い方式、天守は3階建て、外部内部とも当時の様子をうかがい知れる。ただ天守内の階段は非常に急で備え付けのロープを持ってのぼらないと危険。特に2階から3階は段差も大きく注意が必要。
アクセスは車利用だと丸岡ICから10分程度、一筆啓上茶屋前又は一筆啓上日本一短い手紙の館北駐車場に駐車可。鉄道利用の場合はJR・ハピライン福井駅又は丸岡駅からバス。福井駅からは所要60分程度かかるが本数は1時間に2本程度あり。丸岡駅からは所要20分弱となるが、本数は少ない。春には桜(日本の桜100選に選出)が咲き違った景色も見せてくれる名城、お薦めします。
柴田勝家といえばやはり北の庄城。勝家時代の本丸の推定位置とされる神社・公園訪ねます。
信長の妹お市の方とその3人の娘浅井3姉妹、戦国の世に翻弄された女性としてあまりにも有名で歴史にあまり興味がなくてもご存知の方も多いかと。お市の方が夫を兄信長に滅ぼされ、その兄が本能寺の変で非業の死をとげたあと重臣であった柴田勝家と再婚、3人の娘とともに身を寄せたのがこの北の庄城。しかしながら1年足らずで勝家は秀吉に敗れ城も焼失、お市の方も自害、3人の娘もそれぞれ別々に数奇な運命を歩んでいきます。詳細は省略しますがこの北の庄城での1年足らずの期間は4人にとってどのような時間であったのか、との思いにふけるのもいいと思います。
江戸時代に入り徳川家康の次男結城秀康が領主となりほぼ同じ場所に新たに築城(その後福井城と改名)、このため勝家時代の遺構を見ることはできませんが、槍を持った勝家、お市の方、3姉妹の銅像があります。神社・公園は勝家時代の本丸の推定位置とされていますがあくまでも推定のようで、少しはなれたところに石垣と堀が残る福井城址は秀康時代のもの。
見るものはあまり残っていませんが、新幹線も開通した福井駅から徒歩圏、恐竜を売り出しているようですがこちらも訪ねてみてはいかがでしょう。
北陸唯一の現存天守丸岡城、その丸岡城に深く関わった柴田勝家とお市の方、浅井3姉妹ゆかりの北の庄城址、新幹線が開通しアクセスも向上、是非訪ねてみてください。