西播磨の山城 感状山城跡を訪ねて

国内旅

兵庫県相生市にある感状山城跡、名前の由来は室町幕府を開いた足利尊氏から感状を贈られたこととされています。1333年鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇による建武の新政が始まりますがやがて尊氏が反旗を翻します。尊氏は一度は敗れ西国に落ち延びますが、赤松則村、則祐がこの地で後醍醐天皇方の軍勢を食い止め尊氏が体制を立て直す時間を稼ぐのに貢献したことによるとのことです。そんな感状山城跡を訪ねました。

アクセスは車利用をお勧め、山陽自動車道龍野IC又は龍野西ICから15~20分程度、登山口周辺が「羅漢の里」という公園・キャンプ場として整備されており駐車場が利用できます。電車・バスを利用の場合はJR相生駅から複数の路線が利用可能で登山口まで徒歩20分程度の「瓜生」「瓜生東」バス停まで20分程度です。
車を利用、羅漢の里駐車場に車を駐め出発、案内図や標識がありすぐに登山口に到着します。

山頂にトイレはないとの案内、トイレを済ませます。

城跡まで650mの表示、なかなかの上りですが登山道は整備されているようです。

ところどころにあと~mの表示があります。季節柄落ち葉が多く注意が必要ですが整備された階段が続きます。しかしながらあと120mの表示のところで状況は変わります。

整備された階段はここまで、ここから先は傾斜もきつく石がごろごろして歩きにくくなります。積もった落ち葉で滑りやすく傾斜のきついところは手も使いながら上っていくと大きな岩が見えてきます。

大きな岩は物見岩という岩でここが城跡の入り口になります。物見岩からさらに進んでいくと少し開けた場所に到着します。

Ⅲ曲輪で横に出曲輪という曲輪もあります。

Ⅲ曲輪、出曲輪の後はⅡ曲輪を目指します。道は相変わらず石がゴロゴロ、その石を落ち葉が覆い隠す感じで注意しながらゆっくり進みます。Ⅱ曲輪の石垣が見えてきました。

Ⅱ曲輪の横に幅3~4mの帯状の曲輪(帯曲輪)が配置されており石垣も残っています。

感状山城は鎌倉時代に築城されたという説や足利尊氏に貢献した赤松則祐によって建武年間に築城されたという説があり明確ではないようです。また石垣をはじめ残る遺構は戦国期のものと考えられ後世に手を加えられたものとされています。戦国時代このあたりを支配した宇喜多氏により改修されたのではないかとする考えがありますが当時の記録もないため謎多き城と言われています。
帯曲輪から一段上ったところがⅡ曲輪です。

細長い曲輪ですがところどころに礎石も残っています。
Ⅱ曲輪から案内標識に従ってⅠ曲輪を目指します。

もうひと頑張り、落ち葉が積もって歩きにくい道を慎重に上っていくとⅠ曲輪に到着します。

本丸に相当するⅠ曲輪、広々として建物の礎石も残っています。見晴らしもすばらしいものがあります。謎多き城、ここから眺めていたのははたして誰だったのか、といったことを想像するのも面白いと思います。
Ⅰ曲輪でゆっくりした後は下りに入りますが案内標識はⅠ曲輪からⅢ曲輪まで上ってきた道とは別ルートで案内しています。つかまるためのロープを整備してくれていますが結構下りがきついところがあるので注意が必要です。Ⅲ曲輪からは上ってきた道を下り帰路につきます。

西播磨の山城、感状山城跡を訪ねました。見学の仕方や経験にもよりますが登山口から往復で2 時間程度の行程かと。登山道は整備されている区間は上りやすいですが傾斜がきつく荒れているところもあります。山歩きに適した装備は必要かと思います。
築城時期や改修者等が明確でない謎多き城ですが石垣など遺っている遺構が相応にあります。そして何よりも名前の由来に歴史ロマンを感じられる感状山城跡、是非訪ねてみてください。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください)