長崎・五島列島の旅 その1(福江島・久賀島)

国内旅

長崎県西部に浮かぶ五島列島、小さい島もすべてを含めると120以上の島が存在、うち下五島と呼ばれる地域の福江島、久賀島を訪ねました。

長崎から五島列島の玄関口、福江島の福江港までは高速船利用で1時間30分程度、フェリーだと3時間10分程度(いづれも寄港なしの最短の場合)で到着します。

五島列島最大の島で最多の人口を抱える福江島、その玄関口とあって福江港周辺はけっこうな賑わい。島の人々にとって港の重要性は大きいのだと改めて感じました。ホテルや飲食店も相応にあり、スーパーやコンビニもあります。
福江港から周辺の島まで船便が出ています。「旧五輪教会堂」のある久賀島に渡ります。福江港から20分程度で到着します。

久賀島内での移動はレンタカー又はタクシーの予約はマスト。或いは福江港発の教会めぐりのツアーを利用する方法も。福江港から船に乗る際、「島でレンタカーか何か予約されていますか」との質問あり。またレンタカーも台数に限りがあり早めの予約をお薦めします。

レンタカー利用の場合港まで送迎あり、事務所で手続き後旧五輪教会堂を目指します。30分程度走ると駐車場があり、そこから10分弱歩くと入り江越しに旧五輪教会堂、五輪教会が見えてきます。更に進むと手前に五輪墓地があります。

この五輪墓地、やはり禁教期と解禁後では形態が変わっているとのことです。更に進むと到着です。

教会は内部を見学できるところは限られており撮影もNGですが、旧五輪教会堂は現在は教会としては使われていないので内部の見学はもちろん、撮影も可能です。
続いて牢屋の窄殉教記念聖堂を訪ねます。

江戸時代末期、開国により外国人の来日が増加、それに伴いキリスト教の神父も来日し教会も建設されたことからキリスト教徒であることを名乗り出る人が現われました(いわゆる信徒発見)。その後も名乗り出る機運が高まったようですが明治維新後も引き続きキリスト教を禁止していた新政府の厳しい弾圧、悲しい歴史につながりました。詳細は省略しますが五島列島にも悲しい歴史(五島崩れ)がありそれを伝える場所が残されています。この牢屋の窄殉教記念聖堂と牢屋の跡もそうです。
続いて浜脇教会を訪ねます。先ほど訪ねた旧五輪教会堂は、禁制が解かれたあと島ではじめてこの地に建てられた木造の浜脇教会を五輪地区に移築したもの。
港に戻り福江港行の船に乗ります。途中浜脇教会が見えます。

久賀島には1件民宿があるようですが1日3往復(2024年12月現在)の客船利用で福江島から日帰りされる方が多いようです。時刻表とご自身の滞在希望時間で検討というところでしょうか。

福江島にもどり島内を巡ります。
島内の移動は路線バスもありますが範囲が限られ本数もあまりないためやはりレンタカーの利用をお薦めします。福江中心部に大手或いは地元のレンタカー会社が複数あります。
明治45年にたてられた楠原天主堂を見学後勘次ヶ城(山崎石塁跡)を訪ねます。

勘次ヶ城は勘次という大工が河童と作ったというなかなかユニークな伝説が残っているようですが、何の跡なのかはよく判っていないようです。城という名前がついていますが城とは考えにくく、何かの施設の跡で中世の大陸貿易の拠点、倭寇の活動拠点或いは江戸時代の密貿易の拠点などと推測されているようです。立っている像は倭寇を現わしたものだそうで国境の島ならではの遺跡と言えると思います。
続いて堂崎教会、宮原教会を訪ねます。

堂崎教会は明治41年完成の赤煉瓦作りで、五島布教の中心的役割を果たした由緒ある教会。宮原教会は民家を思わせる質素でシンプルな教会です。この質素でシンプルな教会を見ながら幾多の困難を乗り越えてきた人々の様々な思いや物語に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。

下五島と呼ばれる地域で、久賀島と福江島を中心に巡りました。福江島までは長崎からフェリーと高速船も就航、長崎、福岡からの空路もあります。美しい海とそれぞれに物語を持つ教会、国境の島ゆえの遺跡もあり魅力一杯、お薦めです。ただ五島列島全体では有人の島だけで10島以上あり、すべてを回るのはなかなか大変かと。今回の下五島と呼ばれる地域でも紹介したところ以外にも魅力的なところがまだまだあります。ご自身の興味に合わせて日程を検討し訪ねられることをお薦めします。(各種交通機関、宿泊施設、レンタカー等の情報は公式HP等で最新のものをご確認下さい)