島の中心地厳原に宿泊、3日目(最終日午前中のみ)は厳原を回ります。
ありがたいことに天候は回復、まずは金石城跡を訪ねます。
少し離れたところから目につくのが再建された櫓門です。


説明書きにもありますが金石城は16世紀に長く対馬を治めた宗氏の屋形が作られたのが始まりとされています。
櫓門を通り抜けると広場があり、主に家臣が利用するためだったとされる御台所門跡があります。さらに進んでいくと朝鮮通信使幕府接遇の地の碑があります。


国境の島対馬を治めた宗氏の苦労は大変なものだったと想像できます。豊臣秀吉による朝鮮出兵の際は後ほど訪ねる清水山城が築かれるなど最前線の拠点とされる一方、徳川の時代になると朝鮮との通交再開の役割を担います。難しい交渉を成立させ通信使を迎え入れた際の喜びはひとしおだったと想像できます。
西端部に搦め手門の跡があります。


説明書きによると19世紀の絵図には銅門(あかがねもん)と記載されているようで17世紀後半から18世紀に作られたものと考えられているようです。
金石城跡から背後の清水山にある清水山城跡に上ります。


分岐点には案内標識がありますが、小さめのものもあるので見逃さないように注意しましょう。
まずは三ノ丸を目指して上ります。


110mの表示ですが結構な上り、5~6分ほどといったところでしょうか。
清水山城は秀吉の朝鮮出兵の際、本営とした肥前(現在の佐賀県)名護屋城から韓国の釜山に兵を送る中継地として築かれたと考えられています。宗氏や対馬の人々も負担を強いられたのではないかと想像しますが、これもまた国境の島としての宿命というところでしょうか。


三ノ丸からの眺めは良く厳原の町が一望できます。
三ノ丸から二ノ丸を目指します。説明書きがないためよく判りませんが途中虎口の跡と思われる遺構があります。


あちこちに岩盤が露出した地形で石が多くころがっており歩くのに注意が必要です。石に乗って足をくじかないよう注意しながら上っていきます。
15分ぐらいで二ノ丸の虎口でしょうか、門の跡と思われるところに到着します。




二ノ丸に到着しましたが、元々あったものなのか、何かの目的で運び込んだのかわかりませんが大きな石があちこちにあります。
二ノ丸から一ノ丸を目指して上ります。110mの表示ですが相変わらず石が多くまた上りがきつくなります。足元に気を取られながら7~8分上っていくと石垣が見えてきます。


一ノ丸の南東側(二ノ丸に繋がる方)は石垣が二重になっていて虎口が二つあります。その二つの虎口は互い違いになっていて敵が直進できないような構造になっています。


一ノ丸も大きな岩盤が露出していたり大きな石があったりで平らな場所が少ない気はします。そのあたりは清水山城のミステリーとされているところのようで、戦いのための城というよりは天下人秀吉の権威を示すための城であったとの考えもあるようです。
一ノ丸から来た道を石を踏まないように注意しながら慎重に下っていきます。登山口から往復2時間程度の行程といったところでしょうか。
清水山城跡から下ったあとは対馬藩お船江跡を見学します。


対馬藩の御用船を係留した船だまりで17世紀に作られた石積が残っています。
最後に写真は掲載しませんが対馬博物館を見学しました。対馬の歴史と文化が整理して展示されていてよく分かります。
まだまだ行きたいところはあるのですが船の時間が近づいてきたので終了します。
国境の島対馬を2日半かけて回りました。予想はしていましたがやはり大きな島で見どころもいっぱい、2日半では足りない、が正直なところです。
古くから大陸との交流拠点として、あるいは国防の最前線としての役割を担ってきた対馬、多くの史跡に恵まれています。また由緒ある神社も多い神々の島でもあります。やまねこが住みバードウォッチングに適した野鳥の楽園と呼ばれる自然豊かな島でもあり複雑な海岸と美しい海が作り出す景色もすばらしいです。魅力の詰まった対馬、スケジュールに余裕をもって(あるいは欲張った計画を立てず)是非訪ねてください。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください)
