日本海に浮かぶ新潟県の佐渡島、東京都の本土部分(島しょ部を除く)の約半分の面積があり、1,000mを超える山がある一方米どころと言われる広々とした肥沃な平野もある豊かな島です。前回、真野、相川エリアについて投稿させていただきましたが今回は続きを投稿させていただきます。
すっきりとはしませんが前日の雨は止みまずは両津港周辺を散策します。両津は佐渡の玄関口、港も大きく結構な賑わいです。少し歩くと鬼太鼓の像が迎えてくれます。また市街地は両津湾と加茂湖に挟まれており海の反対側には加茂湖があります。


鬼太鼓は五穀豊穣や厄払いを目的に行われる佐渡の伝統芸能で地域ごとに流派があるようです。
加茂湖は元々は淡水湖だったものを氾濫を防ぐため海とつなげ汽水湖になりました。カキの養殖が盛んなようです。
妙法寺、税関跡の前を通り佐渡蛭子神社に着きます。




両津の町は中心にある両津橋を境に北を夷、南を湊という2つのエリアに分かれます。蛭子神社は小さな神社ですが北側の夷の町名の由来となったといわれる由緒ある神社。
両津を散策後は昨日天候が悪く街歩きができなかった相川を再度訪ねます。両津から相川まで車で1時間程度で着きます。金山の繁栄とともに栄えた京町通りを散策します。
風情のある壁、時鐘と鐘楼の前を通ります。


当時の賑わいを思い浮かべながら緩やかな坂を上っていきます。家が途切れるあたりに昭和の初めに作られた寮や共同炊事場の跡があり更に進んでいくと道遊の割戸が見える場所に到着します。


鉱山で働く人々の生活の場となっていたことが窺えます。道が狭くなりますが更に進んでいくと無宿人の墓があります。


坑内のたまり水を汲みだす水替人足(無宿)二十八人の墓。無宿とは江戸時代、現在の戸籍台帳といえる宗門人別改帳から外された者。必ずしも犯罪者というわけではなく行跡が悪く親族から勘当された者も該当しますが、飢饉等により農業での生活が成り立たなくなった元農民が多かったようです。幕府はこのような無宿者を過酷な労働を強いられる水替人足として送り込んでいたようです。
金山で栄えた相川の町並みを散策した後は中世から回船の寄港地として栄えた宿根木を目指します。相川周辺からは1時間10分程度といったところでしょうか。
白山神社から巡りますが前の小さな川に石の橋がかかっています。


普通の石の橋ですが、実はこの石や神社の石鳥居には銘が刻まれており船主が寄進したとされています。しかも石は瀬戸内地方の石というのは驚きです。
三角家や伊三郎の軒下飾り、旧郵便局舎を巡ります。




細い路地を歩いているとまるでタイムスリップしたかのような不思議な感覚になります。


宿根木のレトロ感を十分に味わったあとは岩屋山石窟を経て出発点の小木に戻ります。


小木も回船の寄港地として、あるいは金山から産出された金銀を積み出す港として栄えたところ。
尾崎紅葉も泊まったとされる旅館「かどや」の跡、有形文化財に登録されている「きはちや旅館」や阿弥陀院という寺院を巡ります。




阿弥陀院の横を相川街道(金の道)が通っています。かつて金山から金銀を運んだ道で江戸と金山を行き来する幕府の役人や多くの人々が利用した道。しばらく上りが続くようですがせっかくなので歩きます。


阿弥陀寺の横から15分程度歩くと一里塚があります。様々な人々が色々な思いでこの一里塚を眺めていたのではと思いを馳せます。一里塚まで歩いた後は集落に戻り散策を終了します。
その2(2日目と3日目船の時間まで)では両津、相川(京町通り)、宿根木、小木を訪ねました。丸1日と2時間程度の行程ですが京町通りや宿根木、小木は比較的ゆっくり回れました。
全体を通してですが、金山をはじめ歴史的な遺跡や遺産、古い街並みを中心に巡りました。どの場所も期待を裏切らない魅力のある場所です。また今回訪ねませんでしたが佐渡には魅力的な山、高原やダイナミックで美しい海岸が数多くありトキに関する施設や貴重な伝統芸能もあります。まだまだ訪ねるところはある、が印象です。魅力がつまった佐渡島、ご自身の希望に合わせかつ余裕のある日程で訪ねることをお薦めします。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください)