戦国時代「高天神を制するものは遠州を制する」と言われ武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた高天神城、地形を巧みに活かした難攻不落の名城と謳われていたようです。そんな高天神城跡を訪ねました。
現在は静岡県掛川市に属しJR掛川駅からバスでアクセスできます。バスは土日祝日で1時間に1本程度(平日の朝夕は2本程度)あり、駅の観光案内所でバスの時間を書いた地図をもらえます。最寄りバス停は「土方」で入り口は「北口(搦手門跡)」と「南口(追手門跡)」の二つあり、バス停から北口までは徒歩20分程度、南口までは15分程度です。車を利用する場合は北口、南口とも駐車場はありますが南口駐車場は10台程度と大きくないので注意が必要です。
掛川駅から25分程度で土方バス停に到着、バスを降り北口(搦手門跡)を目指します。ところどころに案内が設置されています。


20分程度で到着、鳥居をくぐり搦手門跡から上ります。




上りはじめてすぐに急な崖の横を通ります。道は整備されていますが結構急な上りです、難攻不落の片りんというところでしょうか。
しばらく上ると三ケ月井戸があります。


城内に二つある井戸のうちの一つだそうで三ケ月形をしているのでこう呼ばれているようです。
三ケ月井戸からさらに上っていくと分岐点がありますが本丸跡を目指します。本丸跡の横に的場曲輪跡がありその先に大河内石窟があります。


説明書きにもありますが1574年、徳川方に属していた高天神城は武田勝頼の大軍に攻められます。城主の小笠原長忠は已む無く城兵の助命を条件に開城しますが、軍目付(いくさめつけ)を務めていた大河内政局は徳川家康への忠義を貫き勝頼に従わなかったためこの石窟に幽閉されてしまいました。家康が奪還できたのは約7年後、その間幽閉された政局は視力を失い歩行も困難になっていたようですが、家康は過分の恩賞を与えねぎらったとのこと。忠義の深さに驚きです。
的場曲輪跡を通り本丸跡に入ります。


歴史を動かす戦いの舞台となった城の本丸と思うと感じるものがあります。
本丸跡の隣(的場曲輪跡の反対側)に御前曲輪跡があります。


建物の跡がありますが戦前、軍医をされていた方が故郷を偲んで模擬天守を建てた跡のようです。御前曲輪跡からの眺めは素晴らしいですが、戦になった時籠城していた兵士たちは眼下に迫る敵をどのような想いで見ていたのでしょうか。
御前曲輪跡からかな井戸のある井戸曲輪跡を通り高天神社のある西の丸跡を目指します。


高天神城は水源に乏しかったため、この井戸は貴重な水源だったようです。
高天神社に参拝後は井戸曲輪跡に戻り二の丸跡を目指します。




このあたりは曲輪の跡や堀切、空堀と見どころ一杯です。山城ファンの方にとってはワクワクが止まらないのではないでしょうか。当時の山城の姿を今に伝える貴重な遺構かと思います。
二の丸跡から再度本丸跡方向に戻り三の丸跡経由で追手門跡のある南口を目指します。


このあたりも土塁の跡などが残っています。
三の丸跡から追手門跡を目指して下っていきます。手前に着到櫓跡があります。


敵が追手門を突破し侵入してきた場合、鐘を鳴らして城中に戦闘態勢をとるよう指示する役割を担っていたようです。
着到櫓跡からすぐに南口(追手門跡)に到着します。


案内図が設置されていて小さいですが駐車場もあります。
高天神城跡を後にしお茶どころらしく茶畑が広がる中を土方バス停を目指して歩きます。


15分程度で土方バス停に到着します。バス停の近くに千人塚があります。1581年家康が奪還した戦いにおいて戦死した武田方の城兵を埋葬した塚だそうです。
難攻不落と謳われ武田、徳川といういわゆる戦国のビッグネームが争奪戦を繰り広げた高天神城、今は静かな「夢の跡」になっていますがところどころに片りんを見ることができます。山城ファンの方もそうでない方も是非訪ねていただきたいと思います。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください)
