丹波の山城 国史跡黒井城跡を訪ねて

国内旅

織田信長により丹波平定を命じられた重臣明智光秀、厳しい戦いを強いられますが見事信長の期待に応えます。いくつかの城が戦いの舞台となりましたが、八上城跡(兵庫県丹波篠山市)については既に投稿させていただいています。その八上城の北西に位置し「赤井の呼び込み戦法」と呼ばれる作戦で光秀軍を一度は撤退に追い込み「丹波の赤鬼」として武勇を轟かせた赤井直正の城として知られる黒井城跡(兵庫県丹波市)を訪ねました。

アクセスはJR福知山線黒井駅から徒歩15分程度で登山口に到着します。車利用の場合は登山口のすぐ前と近くの興禅寺前の2か所に駐車場(無料)があります。興禅寺前の方が広く20台程度可能でトイレも整備されています。登山ルートは「なだらかコース」と「急坂コース」がありますが無理をせず「なだらかコース」を選択します。

少し上ると害獣除けなのか柵があり、クマ目撃の注意書きがあります。4月の登城ですが6月14日の目撃情報なので昨年の情報なのでしょうか。当日は休日で既に何組もの方が上られているので大丈夫かと。ただこんなに町に近いところにも目撃情報があることにあらためて驚きました。

なだらかコースとはいえ結構きついところもあります。登山道は比較的整備されていますが、一部岩がむき出しになっていたり木の根っこに足が引っかかるところもあり注意が必要です。
途中見晴らしのいいところから山頂が見えます。30分ほど上ると門があり石踏の段跡といわれる平らなところに到着します。

説明書きがないためよくわかりませんが曲輪の跡と思われます。門についてもお城の門とは明らかに違いお寺の山門のようです。
さらに上っていくと再び柵がありここから上が主郭部になります。

柵のあたりは岩がむき出しで滑りやすく注意が必要です。
足元に注意しながら上っていくとすぐに東曲輪に到着します。
東曲輪から三の丸、二の丸と続きます。

二の丸の上が本丸です。登山口からゆっくり上って40~50分といったところでしょうか。

黒井城は別名保月城とも言われ、本丸には保月城跡の碑が立っています。頂上付近は広々としており視界が開け360度絶景がのぞめます。丹波の赤鬼と武勇を轟かせた直正もここから眼下に迫る光秀の大軍に闘志を燃やしていたのではないかと想像します。
ゆっくりと絶景を味わった後は下山し登山口近くにある興禅寺を訪ねます。

「赤井の呼び込み戦法」により一度は撤退を余儀なくされた光秀ですが体制を立て直し再び丹波平定に動き出します。そんな中直正が病死したこともあり光秀により丹波は平定されます。
興禅寺は黒井城の下館跡で、光秀の平定後黒井城主となった重臣斎藤利三が陣屋としたところ。修理中のところがありますが堀のある高い石垣が面影を残しています。
斎藤利三と言えば「お福」、後の「春日局」の父親としてご存知の方も多いかと。お福は黒井城下で生まれ3歳まで過ごしたとされ、下館跡の興禅寺にはお福ゆかりの「産湯井戸」や「腰掛け石」が残っています。

お福はその後三代将軍徳川家光の乳母となり江戸城大奥で大きな権力を握るまでになります。お福の波乱に満ちた生涯を思いつつ帰路につきます。

興禅寺前の駐車場に戻り見上げると山頂がよく見えます。あらためて丹波の赤鬼赤井直正、織田軍団の智将明智光秀、そしてこの黒井城下で波乱に満ちた生涯のスタートを切ったお福の3人に思いを寄せます。

JRの駅から登山口まで徒歩圏内、車利用の場合も舞鶴若狭自動車道春日インターから近くアクセスは良好。登山道は比較的整備されており駐車場から頂上まで個人差はあると思いますが40~50分程度で上れます。とは言え「なだらかコース」でもきついところやすべりやすいところもあり熊目撃情報もあります。注意書きにもありますが登山に適した靴や音の出るものといった相応の装備は必要かと。気候条件次第では雲海が見えることもある黒井城、しっかりと装備を整え是非訪ねてみてください。(各種交通機関、各施設、登山道等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください)