大分 臼杵を訪ねて

国内旅

大分県東部の臼杵市、戦国時代に九州東北部に一大勢力を築きキリシタン大名としても知られる大友宗麟(義鎮)が築いた城下町として知られています。また城下町から少し離れた郊外には誰が何のために作ったのか分かっていませんが平安時代末期から鎌倉時代にかけて彫られたといわれる六十余りの磨崖仏群があります。そんな臼杵を訪ねました。
まずは郊外にある磨崖仏群(臼杵石仏)を訪ねます。アクセスは車利用で臼杵ICから5分程度で到着します。JR臼杵駅からバスも出ているようですが本数は多くないようです。見学には観覧券の購入が必要になります。

案内板や碑に「国宝」の文字があります。1995年磨崖仏では全国で初めて国宝に指定されたようです。
順路に従って見学していきます。最初はホキ石仏第二群という石仏群です。

九品の弥陀像や阿弥陀三尊像があります。阿弥陀三尊像は平安時代末期頃の作とされていますが、彫刻技術が高く臼杵石仏の中でも最も優れた石仏の一つとされています。石仏はしっかりした覆屋に覆われています。やはり劣化のスピードを抑えるということなのでしょうか。
次にホキ石仏第一群を見学します。

如来三尊像や地蔵十王像があります。劣化しているところもありますが、よく見ると細かなところまで工夫されているのがわかります。
次に順路には入っていないようですが、少し急な坂道を上り石造五輪塔を見学します。

大小二つあり、いずれも12世紀後半に作られたもののようです。
順路に戻り山王山石仏を見学後古園石仏を見学します。

真ん中の大きな石仏が大日如来像で、劣化により仏頭が落ちていましたが復元されたようです。また隣にある金剛力士像は劣化が進み分かりづらいですが2017年に国宝の追加指定を受けたようです。
古園石仏から駐車場に戻ります、所要時間は石造五輪塔を含めて40分程度といったところでしょうか。これだけの数の見事な磨崖仏は圧巻で技術の高さに驚きます。相当な労力、時間、そして費用もかかったと思います、誰が何のためにといった疑問はますます深まります。
臼杵石仏から城下町に移動、まずは臼杵城跡を訪ねます。車利用の場合移動時間は15分程度といったところでしょうか。城跡の前に観光交流プラザがあり駐車場も整備されています。

臼杵城(丹生島城)は大友宗麟が当時三方を海に囲まれた丹生島に築いたのがはじまりとされています。宗麟はキリスト教を保護し海外との貿易に注力、臼杵は大いに賑わったようです。

しかしながらキリスト教の保護を進めていく姿勢はやがて家臣団との亀裂を生んだとされ、島津氏の侵攻を受け大友氏は衰退していきます。当時全国統一を進める豊臣秀吉の傘下となることで挽回をはかりましたが間もなく宗麟は亡くなりました。豊臣政権の一員となった大友氏ですがその後秀吉による朝鮮出兵の際の不手際により1593年に改易されました。二の丸跡に宗麟のレリーフがあります。
二の丸跡から本丸跡に向かう途中、見事な箱堀があります。

大友氏の改易後臼杵城は豊臣恩顧の大名が城主となりますが、1600年の関ケ原の戦いの後は稲葉氏が城主となります。以来明治維新まで稲葉氏15代の居城となりました。箱堀は稲葉氏の時代に作られたようです。
鉄門という櫓門の跡を通ると本丸跡で、天守櫓跡があります。

説明が書かれていますが、この鉄門の石垣は17世紀初頭から主流になった積み方だそうで、稲葉氏が城主となった後に築かれたものとみられているようです。
城跡を出て城下町を散策します。城跡から少し歩くと稲葉家の下屋敷があります。

1600年関ケ原の戦いのあとから明治維新に至るまで藩主を務めた稲葉氏ですが廃藩置県により東京に移住しました。屋敷は旧藩主稲葉家の里帰り用として明治時代に建設されたものだそうですが江戸時代末期の上級武家屋敷の建築様式を色濃くとどめているようです。
稲葉家の下屋敷から少し歩くと八坂神社があります。

説明書きによると、元々は福島県いわき市に祀られていましたが11世紀末、戦乱(後三年の役)を避けるため臼杵に鎮座されたもの。その後キリスト教を信仰する大友宗麟が領内の寺社の焼き討ちを行ったため別の場所に避難していた時期もあったようです。神様も時の権力者たちに翻弄されるということでしょうか。
雰囲気のある街並みを歩いていくと野上弥生子文学記念館があります。

野上弥生子は臼杵出身で明治から昭和にかけて活躍した小説家。夏目漱石の指導を受けていたことでも知られその生家の一部が文学記念館になっています。
三重塔で知られる龍原寺や大橋寺といった貫禄のある寺もあります。

大橋寺から二王座歴史の道に向かいます。

阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘を切り開いて造られた通りで、武家屋敷の跡や歴史ある寺院が連なり城下町の面影が残ります。なかなか趣のあるエリア、ゆっくり散策します。
二王座歴史の道でゆっくりした後は八町大路を通り、出発点の観光交流プラザに戻ります。
最後に城下町から離れますが下藤キリシタン墓地まで足を延ばします。車利用が前提になりますが25分程度で到着します。ただ案内標識は少なく道路も狭いので注意が必要です。

説明が書かれていますが自身もキリシタンであった下藤村の地侍(村長格の武士)が信者のために作ったキリシタン墓地で、江戸時代の禁教令下でも破壊されずほぼ完全な形で発見された貴重な史跡だそうです。
キリシタン墓地を見学して行程を終了します。臼杵石仏、臼杵城跡、臼杵城下町とキリシタン墓地を巡りました。移動や食事、休憩時間も含めると約6時間の行程でした。

大分県臼杵市を訪ねました。まずは臼杵石仏、いまだ謎に包まれている部分が多いようですがその数量、質の高さに驚きます。また大友宗麟ゆかりの臼杵城跡や城下町も魅力的です。大分県と言えば「温泉」が思い起こされ別府や湯布院といったところが人気ですが、それらの温泉につかり、少し足を延ばして臼杵を訪ねてみてはいかがでしょうか。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください。)