中尊寺や毛越寺で知られる平泉、11~12世紀に奥州藤原氏が豊かな経済力を背景に仏教を根本とした浄土文化を花開かせました。死後ではなく現世に浄土を作り出そうと金色堂で知られる中尊寺や浄土庭園が優雅な毛越寺などを建立、ユネスコの世界遺産に登録されています。そんな平泉とその周辺を訪ねました。中尊寺や毛越寺周辺だけではなく少し離れたところも訪ねたので移動は車を利用しました。
最初に訪ねたのは中尊寺のある平泉町の北隣、奥州市の胆沢城跡です。東北自動車道水沢ICから5分程度です。


「アテルイ」という名を聞いたことがある方はいらっしゃるかと思います。8世紀後半、この地方の人々が蝦夷と呼ばれていた頃、支配を広げようと侵攻してきた朝廷軍を一度は退けた胆沢地域の蝦夷のリーダーです。朝廷は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し大軍を派遣、アテルイ達は次第に追い詰められやがて降伏します。田村麻呂はいくつかの城柵を築き支配体制を広げていきますが、アテルイの本拠地であったこの地域に築いたのがこの胆沢城。奥州藤原氏が栄えた頃よりずい分前の出来事です。
政庁正殿跡には当時の建物の想像図が描かれています。北側の外郭まで歩いていくと隣接して鎮守府八幡宮があります。


鎮守府八幡宮は胆沢城に軍政を司る鎮守府が置かれたことから創建されたようです。胆沢城はその後行政、軍事の他重要な儀式を開催する場所として150年程度機能したようです。一辺が675mの塀に囲まれていたとされる広い城柵、この場所でどのようなドラマが繰り広げられたのでしょうか。
城跡に隣接して奥州市埋蔵文化財調査センター(有料)があり発掘された貴重な品々が展示されているほか古代蝦夷についてのビデオも上映されていて理解を深めることができます。
胆沢城跡から同じ奥州市にある白鳥舘遺跡を訪ねます。胆沢城跡からは車で30分程度です。


平泉の中心部からは5㎞ほどのところにあり11世紀、前九年の役で朝廷軍に滅ぼされた安倍氏の一族の館跡と伝わっています。説明が書かれていますがこの場所は北上川が大きく曲がったところに半島状に突き出た部分で北上川の水運の重要拠点であったと考えられているようです。安倍氏やその後の奥州藤原氏の滅亡後も断続的に使用されていたことがわかっているようで、本丸跡と伝わる場所は15世紀頃に作られたものだそうです。
白鳥舘遺跡から長者ケ原廃寺跡とその周辺を訪ねます。廃寺跡は保存工事を行っており、遠くから見るだけでしたが近隣には並木屋敷、小松館跡といった安倍氏や安倍氏滅亡後この地方を支配した清原氏に関する遺跡があります。


いずれも説明には(伝)と記載されていてはっきりとはわかっていないようですが逆にロマンを感じる気はします。
平泉に入り高館義経堂を訪ねます。


源義経最後の地と伝わり、甲冑姿の義経の像が祀られています。源平合戦で源氏の勝利に大いに貢献した義経ですがこの場所で非業の最後を遂げたとされています。
高館義経堂の次は中尊寺を訪ねます。平泉仏教文化の中心的な存在、訪れる人は多く団体さんも複数来られていました。表参道を歩いて上りますが月見坂と呼ばれる結構急な坂道が迎えてくれます。進んで行くと弁慶堂が目に入ります。


堂内には義経と弁慶の木造が安置されています。主君義経を守るため無数の矢を受けて立ったまま絶命したとされる弁慶、義経と過ごした平泉での日々はどのようなものだったのでしょうか。
弁慶堂から進んで行くと観音堂や大日堂など沢山のお堂が並んでいます。


さらに進んで行くと金色堂に到着、隣には経蔵があります。


金色堂は平泉を象徴する存在、残念ながら撮影不可でしたが建物の外だけでなく内側も金箔で覆われていて光り輝く様子は見事です。また貝を用いた装飾なども素晴らしく見ていて圧倒されます。周辺で金が豊富に産出されたことが平泉の繁栄を支えたようです。
中尊寺の次は毛越寺を訪ねます。


毛越寺は850年、慈覚大師による創建と伝わっています。その後焼失、荒廃しますが奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡により壮大な伽藍が再興されたとされています。
見どころは何といっても浄土を表した庭園です。


大泉が池と呼ばれる池を中心に地上に仏の世界を表したとされる美しい庭園、この庭園を見ていると何となく穏やかな気分になります。池の周囲を歩いて行くと常行堂があり毛越寺の隣にある二代基衡の妻が建立したと伝わる観自在王院跡が見えます。毛越寺を出てあらためて観自在王院跡を見ましたがこちらも美しい浄土庭園です。


毛越寺は大火や兵火により多くの建物が焼失したようですが遺構が残されています。常行堂は江戸時代に再建されたようですが、美しい庭園と常行堂などのお堂が立ち並ぶ風景はどのようなものであったのか想像してみます。
観自在王院跡の浄土庭園を眺めていると日暮れが近づいてきたので行程を終了することにします。予定していたところはもう少しありましたが翌日回ることにしました。
翌日、まずは平泉中心部からは少し外れますが達谷窟毘沙門堂を訪ねます。寺院などの拝観は9時からのところが多いのですがこちらは8時からなので先に訪ねることにしました。平泉の中心部から車で10分程度です。


1200年ほど前、征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地に住み良民を苦しめ乱暴をはたらく悪路王たちを討伐、田村麻呂は毘沙門天のご加護と感じこのお堂を建立したと伝わっています。以来、前九年・後三年の役で活躍した源頼義、義家親子、奥州藤原氏から江戸時代の伊達家に至るまで名だたる武将たちに厚く信仰されてきたようです。
達谷窟毘沙門堂から平泉中心地に戻り無量光院跡、柳之御所遺跡を訪ねます。


無量光院跡は三代秀衡によって建立された寺院の遺構。京都宇治平等院鳳凰堂を模して建てられたとされていますが、平等院をしのぐ規模であったとされています。
無量光院跡からすぐのところに柳之御所遺跡があります。


柳之御所遺跡は奥州藤原氏の政務が行われていた場所と考えられているようです。広大な敷地の中に建物跡が点在、一部には建物のイメージ図も書かれています。栄華を誇った奥州藤原氏、どのような建物が並びどのような政(まつりごと)が行われていたのでしょうか。色んなことを想像しながら行程を終了します。所要時間は1日と2時間程度といったところでしょうか。
平泉とその周辺を訪ねました。坂上田村麻呂から安倍氏、奥州藤原氏に関する遺産、遺跡が数多く存在する魅力あるエリアです。残っているものは限られわかっていないことも多いようですが逆にロマンを感じられるところもあります。平泉には行ってみたいと思っている方は多いかと思いますが、中尊寺、毛越寺だけでなく少し足を延ばして周辺も含めて訪ねられてはいかがでしょうか。また見どころが沢山ある遺産、遺跡が多いので是非時間を多めに取って訪ねることをお薦めします。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください。)
