静岡県掛川市にある高天神城跡、戦国時代「高天神を制するものは遠州(現在の静岡県西部)を制する」と言われ武田氏、徳川氏が争奪戦を繰り広げました。その高天神城跡については昨年11月に訪ね投稿させていただきましたが、争奪戦の中で武田氏、徳川氏がそれぞれ攻撃拠点となる城を築いていました。武田氏が築いた島田市にある諏訪原城跡、徳川氏が築いた掛川市にある横須賀城跡、これら二つの城跡を訪ねました。
まずは静岡県島田市にある諏訪原城跡を訪ねました。アクセスは車利用の場合は新東名高速島田金谷ICから15分程度です。鉄道利用の場合はJR金谷駅からのアクセスになりますが、徒歩の場合は30分程度かかります。コミュニティーバスを利用する方法もありますが本数が少ないようなので注意が必要です。車を利用、城跡の入り口にビジターセンターがあり駐車場(7~8台程度)もあります。
ビジターセンターには地元の高校生が作ったこの城のジオラマ模型がありパンフレットももらえます。


ジオラマ模型ではこの城の特徴である丸馬出の様子がよく分かります。
城跡に入っていくとすぐに大手南外堀があります。この堀は深い堀ではありませんがもう少し中に入って行くと堀が深くなります。
堀を渡り案内に沿って歩いていくと二の曲輪南馬出があります。


近くには二の曲輪東内馬出があります。


このあたりの堀もかなり深いです。
二の曲輪の東、南馬出から大手曲輪、「史跡諏訪原城跡」の碑の前を通り二の曲輪の中心部に向かいます。


二の曲輪は広い曲輪で真ん中あたりに中馬出があります。三日月形の深い堀に守られた丸い形をした曲輪で、丸馬出と言われています。


武田流築城術の特徴がよく現れたところです。遺構がよく残っていて当時の山城の様子が想像できます。しばらく眺めていましたが「ここより先には絶対進ませないぞ」といったメッセージが伝わって来るような、そんな感じです。
二の曲輪から本曲輪に向かいます。


本曲輪から二の曲輪に戻り北の方向に歩いて行くと復元された二の曲輪北馬出の門があります。


発掘調査で確認された礎石をもとに復元されたようです。
このあたりが城の北の端、門を見学した後はビジターセンターの方に戻ります。途中に諏訪神社があります。


城内にこの諏訪神社を祀ったことから諏訪原城の名がついたと言われています。
武田氏はこの城を築き1574年徳川家康から高天神城を奪います。しかしながら1575年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れ力を失っていきます。この城も家康によって攻め落とされその後牧野城と改名されます。1581年には高天神城も落城、翌年に武田氏が滅亡するとこの城の必要性は低下、その後家康が関東に移封となったことで廃城になったのではと考えられているようです。
諏訪原城跡から横須賀城跡に移動します。
アクセスは車利用の場合は東名高速掛川ICから30分程度、大きくはないですが駐車場が複数か所あります。鉄道利用の場合はJR袋井駅からバスが出ています。車を利用、本丸南下の入り口にある駐車場に駐め城跡に入ります。
特徴のある石垣が迎えてくれます。


「玉石積み」と呼ばれる丸い河原石を用いた石垣で全国的にも珍しい石垣です。確かに他の城では見ない石垣でよく崩れないなと感心します。
本丸跡に上ると天守台の跡があります。


1574年武田勝頼に高天神城を奪われた徳川家康は翌年の長篠の戦いで勝利した後、高天神城奪還のためこの横須賀城を築きました。武田氏が滅亡後高天神城や諏訪原城が廃城となったのに対しこの横須賀城は江戸時代以降も横須賀藩の城として明治時代に廃城となるまで存続しました。
本丸跡から西の丸跡、さらに下ると米倉跡があります。


米倉跡からさらに進むと広々とした二の丸跡があります。
二の丸跡を一周する感じで歩いていくと反対側に不開門跡があります。


「不開門」とは珍しい名前、調べてみました。不開門は高天神城から移築したとされ武田の怨念がこもっていて取り壊そうとした城主が高熱にうなされたといった話があるようです。明治になり廃城になった際には近隣の寺に移築されたと伝わっているようです。どこまでが事実なのかはっきりしないようですが「不開門」という名前には何か理由があるのだと思います。
二の丸跡を一周した後は、北の丸跡から松尾山に向かいます。


北の丸跡には建物跡の石列遺構が残っています。整備された広々とした場所で、何かの競技(多分ゲートボール)で使われている感じです。
松尾山の頂上に上ります。


建物跡が残っています。説明書きによると多門櫓といわれる建物で、塀の役割をする長屋状の建物で普段は倉庫として使われていたようです。この辺りが横須賀城の東端になり防衛上重要な部分であったとのことです。また築城当初は一段高い場所であるこの松尾山周辺が軍事拠点として利用されていたと考えられています。
松尾山から本丸南下の入り口のところに戻り東の方に向かいます。すぐに三日月池がありさらに進んでいくと三の丸跡があります。


広々とした原っぱがあるだけですがこの三の丸や二の丸といった平城部分は江戸時代になってから整備されたと考えられています。説明が書かれていますが、横須賀城は平山城として山城から平城に移る過渡期の特徴を備え、中世城郭と近世城郭の二つの顔を併せ持っていると評価されているようです。
静岡県島田市にある諏訪原城跡、掛川市にある横須賀城跡を訪ねました。所要時間は諏訪原城跡で60分程度、横須賀城跡で80分程度といったところでしょうか。 いずれも戦国時代、武田氏、徳川氏が高天神城(掛川市)の争奪戦を繰り広げる中で築城された城ですが、それぞれに特徴をもった魅力一杯の城です。武田氏、徳川氏といったいわゆる戦国時代のビッグネームが関わったこれらの城跡を訪ねてみてはいかがでしょうか。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください。)
