讃岐 引田城跡を訪ねて

国内旅

香川県東部、東かがわ市にある引田城跡、播磨灘に面した要地引田港の北側に半島のように突き出た山に築かれた城跡です。戦国時代には阿波三好氏の支配や土佐長宗我部氏の侵攻など争奪戦が繰り広げられますが1587年豊臣秀吉から讃岐の国を与えられた生駒氏が入城します。生駒氏はその後高松に移りますが高松城、丸亀城とこの引田城を拠点として領国支配を進めたとされています。そんな引田城跡を訪ねました。
アクセスはJR高徳線引田駅から徒歩20分程度で引田港側の登山口に到着します。車利用の場合は高松自動車道引田ICから5~6分で到着、引田港側登山口前に25台程度、田の浦野営場側登山口近くにも10台程度の駐車場が整備されています。
引田港側登山口から上ります。「国史跡 引田城跡」の案内があります。

狭いところもありますが遊歩道は整備されています。

少し傾斜がきついところ、岩がむき出しになってるところがありますがしばらく上って行くと少し開けた場所に到着します。

引田港や引田の町が見渡せるようになってきました。特に説明書きとかはありませんでしたが、何かあった場所なのでしょうか。さらに上って行くと狼煙台跡に到着します。

先程の場所よりもさらに見晴らしがよく狼煙を上げるのには適した場所かと。
本丸まで170mの表示、遊歩道を上って行くと本丸の石垣が見えてきます。本丸まで登山口から20分程度といったところでしょうか。

説明が書かれていますが、隙間に間詰め石を用いる古い積み方で最初に築かれた石垣と考えられているようです。
この一帯の曲輪が本丸で南東方向に進んだあたりに天守があったと推定されているようです。

天守があったと推定されるところから坂を下って化粧池を目指します。

化粧池では姫や女中たちがこの池の水を使って化粧したと伝わっています。水は少しだけのようですが石垣が残っています。
化粧池から東の丸を目指します、途中引田灯台(引田鼻灯台)があります。

半島のように湾に突き出た山に築かれ港を治める役割も担っていたとされる城、灯台を設置するにも適した場所ということなのでしょう。
灯台から東の丸を抜けると分岐点があります。

北二の丸の石垣を目指します。

石垣は上段と下段があって上段の石垣は養生中で残念ながらシートがかぶせてあり見ることができません。下段の石垣はよく残っていて間詰め石が詰められている様子がわかります。

生駒氏による領国支配の拠点となった引田城ですが江戸時代に入り一国一城令により廃城になったとされています。このため改修等が行われなかったため逆に築城当時の石垣がそのまま残っている貴重な遺構と言われています。
北二の丸から80mほど進んだところに北曲輪があります。

北曲輪には石垣は築かれていないようで、石垣による城が築かれる戦国時代末期より前の遺構と考えられているようです。
北曲輪から来た道を戻り北二の丸と東の丸の間の分岐点に戻ります。分岐点を本丸の方に向かいます。

途中南二の丸、その横に大手門の跡があります。今歩いている遊歩道は大正から昭和にかけてこの城山が公園として整備された際に作られたようですがかつては大手門まで通じる大手道が麓から通じていたとされています。
再度本丸の石垣を見た後は引田港側登山口まで下ります。

引田港、引田の町を見ながら登山口に戻り行程を終了します。
引田港側登山口を起点に本丸、化粧池、引田灯台、東の丸と遊歩道を反時計回りに歩き、北二の丸、北曲輪まで足を延ばしたあとは再び本丸から引田港側登山口に戻りました。2時間あればゆっくり歩けるかなといった感じです。遊歩道は整備されていますが少し傾斜がきついところや岩がむき出しのところがあり山歩きに適した装備は必要かと思います。

香川県東部にある引田城跡を訪ねました。播磨灘の要地にある引田港を治める役割を果たし安土桃山時代には讃岐支配の拠点としての役割も果たしました。築城当時の野面積みの石垣が多く残る貴重な城跡です。そんな引田城跡を訪ねてみてはいかがでしょうか。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください。)