安土桃山時代に天下統一を果たした豊臣秀吉を知らない人はいないと思いますが、その秀吉に大和大納言と称された有能な弟がいたことは意外と知られていないかもしれません。兄秀吉の天下統一に貢献し豊臣政権を支えた豊臣秀長、2026年のNHK大河ドラマで取り上げられるようです。その秀長ゆかりの城下町大和郡山を訪ねました。
近鉄郡山駅をスタート・ゴールとしますが近鉄郡山駅までは大阪市中心部や京都市内から1時間程度で着きます。駅前には案内の看板が設置されています。大河ドラマの影響でしょうか、色んなものが整備されつつあるように感じます。


駅から案内標識を頼りに東の方に5~6分歩くと箱本館「紺屋」があります。


説明書きにありますが箱本とは自治組織のことで住民自治の先駆けとなる制度。秀長の時代に箱本十三町が始まったとされています。箱本の箱とは認められた特権の根拠となる書状を入れる箱のことで十三町が月ごとに持ちまわり、受け持った町を箱本と呼んでいたようです。箱本となった町はその期間、治安維持や消火、伝馬といった自治を担当していました。紺屋町は十三町の一つで藍染めを職業とする人たちが集まった職人町。
箱本館から南へ進むと外堀緑地があります。


外堀緑地は近年失われつつあった郡山城の外堀を公園として整備したもの。
外堀緑地から来た道を少し戻り駅からの道を東に進むと薬園八幡神社に着きます。


8世紀中ごろの創建とされる古社で、当初は平城京の南の薬草園に建てられていたことが社名につながっているようです。
神社から来た道を戻り広い通りを超え最初の角を南に向かうと洞泉寺があります。


入って左手の小堂に「垢かき地蔵」が祀られています。ふっくらとした顔立ちです。
洞泉寺から西へ向かい柳町商店街を南に歩くと郡山八幡神社があります。


理由はよく判かりませんが通称「グラブ神社」と呼ばれ野球(守備)上達の神様として信仰されているようです。奈良県はグラブの生産が盛んなことが影響しているのでしょうか。写真では分かりませんが絵馬にはグラブが書かれており、社殿には額に入ったグラブが奉納されています。
郡山八幡神社から西に向かい近鉄の線路を超えるあたりから金魚養殖池が広がります。


見晴らしが良くなり線路を超えしばらく歩くと南側に金魚資料館の看板が見えます。
金魚生産が盛んで金魚の町としても知られる大和郡山、町中を散策していても色んなところに金魚(の絵や形をしたもの)が現れます。


地面に設置されている案内板や灰皿にも金魚が描かれています。
金魚博物館から西に進むと新木山古墳があります。


被葬者ははっきりしないようですが、宮内庁より陸墓参考地に治定されているようです。
古墳の西側は県道に面しており北に向かうとすぐに二又に分かれています。県道はやや左に進んでいきますがやや右に進む道を歩いていきます。古墳から4~5分ぐらいでしょうか、少し分かりにくいですが(特に南側から歩いてくると案内板を見逃してしまう)大きな病院があるところを左に曲がると大納言塚があります。




豊臣秀長の墓所。兄秀吉を支えた秀長ですが秀吉より先に病気で亡くなってしまいました。歴史に「もしも」はありませんが「もしも秀長がもう少し長生きしていれば」、という話はよく聞きます。
大納言塚から更に北に向かって歩いていくと郡山城跡が見えてきます。少し手前に永慶寺というお寺があります。


江戸時代幕府の命令により甲府からの国替えで郡山城主となった柳澤家の菩提寺。山門は秀長の時代に建造された郡山城の南門を移築したものと伝わり、当時の建造物として残る貴重な遺構。
永慶寺から北に向かうとすぐに郡山城跡に到着します。
本丸跡に柳澤神社があります。


歴史に興味のある方は柳澤吉保をご存知かと。江戸時代、五代将軍徳川綱吉の側近として頭角を現し大名にまで上りつめた人物。国替えで郡山城主となった柳澤吉里はその長男で以後明治維新まで柳澤家が城主を務めましたが、明治になり吉保の功績をたたえ神社が創建されました。
神社に隣接して天守台があります。


天守台は築城から400年以上経過、破損が進み一時期は立ち入りが禁止されていましたが2017年に修復、整備が終了、天守台の上からは大和郡山の町並みや奈良盆地を一望できます。
石垣には「さかさ地蔵」と呼ばれる石仏も利用されています。


頭が下になるように積み込まれているのでこう呼ばれているようです。石材が乏しく色んな石を転用したようですが石仏まで、という気はしますが寺社勢力が強い土地柄のため牽制の意味で拠出させたのではとの考えもあるようです。
最後に追手門を見学します。


昭和58年市民活動により復元されたものだそうですが、貫禄があり当時の姿を偲ぶことができます。
郡山城を後にし帰路につきます。
豊臣秀長ゆかりの大和郡山を訪ねました。奈良を代表する城下町で由緒ある社寺や住民自治の先駆けとなる箱本十三町の町割りが残り城下町風情を味わうことができます。
今回歩いたコースは個人差はあると思いますが歩数で12,000歩程度、休憩時間も入れて4時間程度の行程で負担は大きくないかと。大阪市中心部や京都市内から1時間程度とアクセスも良好、訪ねる価値は十分あると思います。ただ城下町の特徴と言えますが狭いわりに交通量の多い道路が多く注意が必要です。車で行かれる方はお城周辺に駐車場(有料)も整備されていますが幹線道路以外は避けた方が無難かと。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください)