盛岡を訪ねて

国内旅

岩手県盛岡市、安土桃山時代に南下を果たした南部氏が城を築き城下町として発展、明治以降は岩手県の県庁所在地となっている県最大の都市です。そんな盛岡を訪ねました。市内中心部だけではなく少し離れたところも訪ねましたがその場合の移動手段は車を利用しました。
最初に訪ねたのは盛岡城跡周辺から少し北西方向に離れた天昌寺というお寺です。曹洞宗の名刹ですが道路に面した塀に「厨川柵」の説明板があります。

盛岡周辺は南部氏が城を築くはるか昔から度々歴史の舞台に登場します。11世紀、「前九年の役」がおこります。歴史の授業で習った方もいらっしゃるかと思いますが朝廷に反旗を翻した陸奥の豪族安倍氏と朝廷軍の戦いです。最終的に安倍氏が敗れるのですがその最終決戦の場となったのが厨川柵といわれるところでこのあたり一帯がそうだったのではと考えられています。近くには「前九年」という地名もあり「前九年公園」という公園があります。

1000年近く前の出来事、よく分かっていないようですがこの辺りで歴史を動かした戦いがあったのだと思うと感じるものがあります。
市内中心部に移動、最初に今は公園として整備されている盛岡城跡を訪ねます。三ノ丸跡、ニノ丸跡を通り本丸跡に向かいます。

本丸跡には銅像の台だけが残っています。説明書きがありますが、ここには藩主の子孫で明治時代日露戦争で戦死した南部利祥(としなが)氏の騎馬像があったとのことです。

結構インパクトがあります。明治維新の際、盛岡藩は朝敵の立場となりましたが戦争での活躍によりその汚名をそそいだものとして作られたようです。しかしながら太平洋戦争の際、軍需資材として供出されたとのことです。再建の話がでたのかどうかわかりませんが歴史の波に翻弄されたものとして訴えるものがあります。
城跡公園に隣接して櫻山神社があります。本殿の右側には巨大な「烏帽子岩」があります。

説明書きによると「兜岩」ともいわれ吉兆のシンボルとして広く信仰され崇拝されているようです。
城跡公園周辺を歩いて回ります。岩手銀行旧本店本館や茣蓙九(ござく)という江戸時代からの商家があります。

岩手銀行の赤レンガの建物は東京駅の設計者も参加していたようですが何となく似ているような気はします。
さらに歩いて行くと紺屋町番屋、岩手県公会堂といった雰囲気のある建物が目に入ります。

紺屋町番屋は消防番屋として建てられたものだそうです。
公会堂のあたりは合同庁舎や県庁、裁判所といった官庁街になっています。その裁判所の敷地の中に石割桜があります。

元々は盛岡藩の家老の屋敷跡で庭石の割れ目に桜の種が飛んできて芽を出し成長とともに石の割れ目を押し広げていったものといわれているようです。
石割桜から400年の歴史を持つといわれる商店街、材木町まで頑張って歩きます。20分程度で到着します。歩いて行くと宮沢賢治の像が目に入ります。

通りには賢治の童話集「注文の多い料理店」を発刊した商店などがあります。
材木町を散策し本日の行程を終了します。厨川柵に到着したのが昼前なので半日強の行程といったところでしょうか。
2日目は城跡公園から少し離れた報恩寺、三ッ石神社と志波城跡を訪ねます。
移動を伴うので車を利用、まずは城跡周辺からは少し北に離れたところにある報恩寺を訪ねます。曹洞宗の古刹で五百羅漢で知られています。

五百羅漢は羅漢堂に収められていますが、色んな顔、表情があり興味深いです。
報恩寺から近くにある三ッ石神社を訪ねます。

鬼の手形伝説の残る神社で説明書きによると、昔この地方に付近の住民を悩ます鬼が住んでいました。三ツ石の神様にとらえられた鬼は二度と悪さをしない、二度とこの地方に来ないと誓ったのでそのしるしとして三ツ石に手形を押させて逃がしてやったというもの。この岩に手形を押したことが「岩手」の起源になったとする考えがあるようです。また鬼の退散を喜んだ住民が幾日も幾日も踊り神様に感謝の気持ちを表したのが「さんさ踊り」の起源ともいわれているようです。
三ッ石神社の次は志波城跡を訪ねます。報恩寺、三ッ石神社界隈から車で20分程度です。

最初に訪ねた厨川柵が歴史の舞台に登場した「前九年の役」がおこったのが11世紀中ごろ、そのさらに200年以上前、ここに城柵が築かれました。築いたのは坂上田村麻呂、ご存知の方は多いかと。
この地方の人々が蝦夷と呼ばれていた頃、征夷大将軍として東北地方の平定にあたりました。そしていくつかの城柵を築きましたがその最北に築いたのがこの志波城。古くから存在は歴史書などには記載されていましたが長年その所在地は不明だったようです。

1960年代になり高速道路の建設が計画されたことから発掘調査が行われ、塀の跡や沢山の竪穴住居跡が見つかりにわかに注目されました。調査が続けられた結果この場所が志波城跡と確認され1984年には国の史跡指定を受けたとのことです。

現在は古代公園として塀や一部の門が復元され案内所も作られています。案内所では出土した資料や理解を深めるためのビデオを見ることができます。1200年も昔、この場所でどんなドラマがくりひろげられたのでしょうか。兵士は関東、北陸、甲信等から派遣されたようですがどのような思いでこの場所で暮らしていたのでしょうか。古代の人々に思いを寄せ志波城を後にし行程を終了します。前日厨川柵に着いたのが昼前、志波城見学終了が昼前なので丸1日の行程といったところでしょうか。

岩手県の盛岡を訪ねました。盛岡藩の城下町として発展、古い建築物が残る落ち着いた街並みが魅力で数年前アメリカの新聞社が毎年発表している「行くべき場所」にも掲載されました。また盛岡城跡周辺だけではなく少し足を延ばせば古代から歴史の舞台となった場所がいくつかあります。三大麺といわれるわんこそば、冷麺、じゃじゃ麺も魅力です。盛岡、行くべき場所と思います。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください。)