しまなみ海道 村上海賊の遺構を訪ねて

国内旅

広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶしまなみ海道、瀬戸内の島々を橋でつないで渡っていく風光明媚なルートで人気の観光エリアになっています。このエリアに室町時代から戦国時代、大名たちも一目を置く力を持った海賊 、村上海賊が存在しました。「海賊」と聞くと船を襲って積み荷を強奪する悪い集団、をイメージしますが当時は通行料を徴収し航海の安全を保障、水先案内も行う海の治安を守る人々のことをこう呼んだようです。(ただし通行料を払わない船を襲うことはあったようです。)その村上海賊の遺構を中心にしまなみ海道を車を使って巡りました。
村上海賊といっても因島村上氏、能島村上氏、来島村上氏と三家あり強い同族意識はあるものの時に連携、時に離反を繰り返していたようです。遺構も分散していますが、因島、大三島、大島、来島の順に紹介させていただきます。

因島

因島にある因島村上氏の遺構を訪ねます。まずは水軍城です。海賊は武装集団であったことから水軍(村上水軍)という言い方もされます。

この城は昭和58年に建てられた資料館、因島村上氏が残した武具や遺品、古文書などが展示されていて村上海賊についての理解を深めることができます。
次に青木城跡を訪ねます。登り口が分からなかったのですが地元の方に聞くと案内してくれました。

よく見ると案内板も設置されていました。「これが道か、と思うような道だけど上まであがれるよ」と親切に教えていただきました。確かに整備が行き届いているとは言い難いですが5分程度なので問題なく上れました。

頂上には祠があり、村上海賊の旗もなびいていました。説明書きによるとこの城は1567年に因島村上氏六代目村上吉充が向島から移り住み以来30数年間因島村上氏の本城であった城。
青木城跡から白滝山に向かいます。

青木城跡の背後にあり、控えの要塞、見張りどころとされたところ。その後江戸時代後期にこの地で五百羅漢の石仏が作られました。

石仏の喜怒哀楽の表情が実に興味深く、また頂上からの景色は素晴らしいです。村上氏が支配していた時代は見張り役が目を凝らして見張っていたのだと思います。
白滝山の次は島の南東部にある美可崎城跡を訪ねます。柑橘類の畑の中を上って行きます。

ここにも村上の旗がなびいています。

見晴らしがよく通行する船がよく見えます。通行料を徴収する拠点とされていたようでここでも見張り役が活躍していたのだと思います。

大三島

大三島に渡り最初に訪ねたのは日本総鎮守と呼ばれる由緒ある大山祇神社。

山、海、戦の神として古来より信仰を集めてきた神社で戦場に立つ武将からも厚く信仰され多くの武具、甲冑などが奉納されています。境内にあるご神木は樹齢2600年とも言われています。

村上氏も氏神として崇め武運や海上交通の安全を祈ったとされています。
大山祇神社に参拝した後は甘崎城跡を訪ねます。

この城は周囲600mほどの島全体を城郭化した海城で、そのルーツは7世紀までさかのぼり日本最古の海賊の城とも言われています。村上氏の支配を経て関ケ原の戦いの後は今治城に入った藤堂高虎の支城となります。重要な場所ということだと思います、高虎は総石垣の城への大改修を行ったとされています。当日は渡ることはできませんでしたが潮の関係で年に数日ですが干潮の時間に渡れる日があり、その石垣や船をつなぎとめるための柱などを立てた穴を間近で見ることができるようです。

大島

大島に渡り村上海賊ミュージアムを訪ねます。

能島村上家の甲冑や能島城跡からの出土品、資料などが展示されています。因島の水軍城は「水軍」ですがこちらは「海賊」という言葉が使われています。
ミュージアムから能島村上氏が拠点とした能島城跡が見下ろせるカレイ山展望公園を目指しますが途中幸賀屋敷跡に寄ります。

はっきりとしたことはわかっておらず碑が建っているだけの広場ですが、能島村上氏の祖と言われる村上義弘(実在を疑う考えもあるようですが)の屋敷跡ではないかとされているようです。
カレイ山展望公園に上ります。能島城跡がよく見えます、少し拡大して写真を撮ってみます。

能島城跡は土日祝日に開催されるツアーに参加すれば上陸可能ですが平日のため残念します。展望台から見るだけですが確かにここに海城があったのだというのはよくわかります。また離れたところからですが潮の流れが速そうだというのもわかります。村上三家のなかでこの能島村上氏が最も独立性(大名の支配下に属さない等)が高かったと言われています。ここでどのようなドラマが繰り広げられていたのか、海賊たちが活躍する様子を想像してみます。

来島

来島村上氏の居城、来島にある来島城跡を訪ねます。島へは定期船があり今治波止浜港(四国本土側)から5分程度で到着します。波止浜港には船の待合所を兼ねた観光休憩所があり数台ですが駐車場もあります。
島に到着すると目の前に八千矛神社があります。創建については諸説あるようですが、伊予の国の守護を務めた河野氏や来島村上氏が関係していると考えられているようです。

来島海峡は日本三大急潮と言われ、「狂う潮」が「くるしま」に訛ったとする説があるようです。周囲850mほどの小さな島ですが来島村上氏は急潮流に守られるこの島に拠点を築き、来島海峡を支配していたようです。
柱穴跡が残っているようなので向かいます。

方向を示す矢印があるだけで、説明等はなくよく分かりませんでしたがたぶんこれだろうと思われる穴はありました。フナ虫が多いのには驚きました。
柱穴跡から戻り城主館跡とされる心月庵を訪ねます。

心月庵から城跡に向かいます。来島城址の碑と石垣が目に入ります。城内に村上神社があり、鳥居をくぐって上って行きます。

神社のあるところが二の丸跡になるようです。残念ながらここから先は遊歩道が崩れていて本丸には上れません。HPや港の待合室にも掲示はされていましたが早期の修復をお願いしたいものです。

室町時代から戦国時代にかけてこの島に本城を置いて地域を支配した来島村上氏ですが、豊臣秀吉が天下統一を進める中で出した「海賊停止(禁止)令」により力を失っていきます。因島村上氏、能島村上氏も同様ですが海賊として生きる道は閉ざされてしまいました。来島村上氏(来島氏)はその後幾多の変遷はありましたが島を出て、海のない藩の藩主、久留島氏として明治維新まで存続していきます。島はその後栄えた時期はあったようですが近年は過疎化が進み地元の方によると現在生活されているのは6世帯ぐらいではないかと。まさに「夢の跡」といったところでしょうか。

人気の観光エリアであるしまなみ海道を村上海賊の遺構を中心に巡りました。遺構は他にも沢山あり紹介できたのは一部といったところです。所要時間は1日半程度といったところですが「村上海賊」に対するご自身の興味に合わせて計画されればよろしいかと思います。移動手段はやはり車の利用をお勧めします。しまなみ海道の素晴らしい景色も味わいながら小説やドラマでも取り上げられる海賊(或いは水軍)の遺構を訪ねてみてはいかがでしょうか。(各種交通機関、各施設等の情報は公式HP等で最新のものをご確認ください。)